悪路、ぬかるみ惑い

なんか無節操なこと備忘録兼ねて

旅行けば

自分探しの旅・・・なんていうフレーズがずっと昔に流行ったような気がする。実態は各地を当てもなくただ旅して回るみたいな、そういう旅行記的なものだろうけど。

この言葉がちょっとブームっぽくなってた時、ある先生が言った。「自分探し~」なんて無駄な馬鹿げた事はやめておけ、と。
師が言うには、それって結局自分の都合が悪くなったらその場から逃げてるだけで、そのたびに何度も自分を探す旅に~なんてそんな馬鹿げた話しはないというのだ。
何か問題があるたびに逃げて旅とやらに出るのか、と。ただ馴染めない、あるいはその場に馴染もうとしないだけのヤツが自分探し~なんていっちょ前な言葉使ってんじゃないよ、と。

だからどんな場所であっても君たちはその場に順応してその場にしがみつき生き延びるしたたかさと賢さを持ちなさい、と言う先生なりの激励だった。
学が高い学校でもなかったから、学がないならないなりの処世術(サバイバル)を身につけさせたかったのだろう、それが場に居直させるしぶとさでありしたたかさであったのだろう。

でも逆に学が高ければそういうボヘミアン的放浪も一応は許されるということでもある。もちろん家自体の資金的な太さとかそういうのにもよるのだろうけど。


私は先生の言うことにはできるだけ抗いたいほうだったのだけど、日々の自分の周りの学校での諸々を見回してみれば先生がそう言うことは充分説得力を持って納得できるし、そのまま素直に言葉を受け止めて生きた方が全く有利で利口であるんだろうなとは思った。


私は自分探しの旅・・・に肯定的(?肯定も否定もあるかというものだけど)だったけど、今になってそれが結局どこに行っても自分が付きまとうのなら自分探し・・・も何もないんじゃないか、と思えてきた。これは不調になってからそう思うのだけど・・・。
どこに行ったってこの不調は付きまとうし薬無しではどこにも行けないので、結局自分探しに諸国を回ろうにも、嫌でもその自分の不調とは向き合わなければならなくなる・・・と思わざるを得ない。
どこかに行けば嘘みたいに不調が治ったとかそういう奇跡みたいなものがあるようにも思えなくて。(大昔なら宗教でもってそういう奇跡も信じられたかもしれないけども)

だから今は自分探し・・・って言うけど、と思う反面、自分の居場所は本当にここなのか?という思いも芽生えている。
おそらくこれは一種の逃避願望から来てるもので、現実がなかなか良くならないからこそ他所に居場所を求めようとする思い、となるとこれこれまさに自分探しの旅に当てはまってしまうという罠。

今自分は生まれ育ちも同じ場所に住んでるわけで、でも果たしてこのまま生まれ故郷で生きそのまま死んでいくことがいいのか悪いのか。
今いる場所に違和感を覚えてしまったら終わりのような感じもするけれど、でもそういったものはないわけでもなく・・・。
出来るなら、健康であったなら各地を旅して死に場所求めてさまよい歩く・・・という名の旅行をしてみたかった、そういうのがあると故郷の良さが改めてわかるとも言うし。

自分探し・・・といいつつ既に自分はあるというとじゃあ何を探しに行くのだろう。どこが安住の地として思えるのだろう。それは感覚的に無意識的にそう思えるものなのだろうか。


お城や教会、寺社仏閣、荘厳な建物や厳かな場所はそこに赴くだけでも病が和らぐような気持ちになれるという。スピリチュアル的な話しにも思うが、これはアート作品、美しい自然風景などでも起こり得るのだそうで、そういう場所やものへの畏敬の念や感動が精神に良い影響をもたらすこともあるらしい・・・とか。
上の話しとは矛盾しているようだが、嘘のように不調が治る(というよりは和らぐ)ようなこともそういうものの前にはなくもないらしい。
ただ卓上で見るぶんには到底そのようなことは信じられないのだが・・・。


だけど今自分にとってそういう感動がないのも事実ではあるし、実際ゴシック建築の教会とかに行ったらそういう感動があるのだろうか。


たしかに昔教会に見学(自主学習的なもの)したとき、自由に入れるところで人は誰もいなかったけど天井は高く受難のレリーフ壁に飾ってあって、真正面に祭壇があった。椅子は木の横長の(映画でよく見るやつ)だったけど、初めての方はこちらなんて貼ってあって(現役ではあるらしい)、そこに少し座って眺めてみると改宗(改心?)したくなる気持ちもわかると思ったのがいまだに心に残ってる。

そういう自分探し、今の価値観ではもう既に逆になにそれ?って感じなんだろうけど。(SNSで共通の趣味ある人を見つけやすくなったってのもあるのかな・・・?)

それでも迷う人はやっぱり迷うと思う・・・。
それにずっとしたたかに頑張ってしがみついていようとしても振り落とされることもなきにしもあらず、明日は何があるかわからないので・・・。

自分探しという行き場の無さよ・・・。